旧合用水取入口水門
(きゅうごうようすいしゅすいぐちすいもん)

地区
黒部市
地域区分
扇央
テーマ
2.3
分野
農業土木

場所
黒部市若栗奥河原堤防内
所有者・管理者
黒部川左岸土地改良区(堤防は国交省)
電話番号
 
 江戸時代など合口化される前は、それぞれに、直接、黒部川から取水していました。黒部川本流に川倉・蛇籠をもって作った取水堰を設け、水門に導水していました。「合用水」は、文政11年(1828)の大洪水の流れの跡を利用して取水したのが始まりだと伝えられています。
 明治になって用水組合の設立が法制化され、黒部川左岸の各町村でも用水取水口の設置許可の申請が相次いで行われ、合用水は明治24年に取水口水門の工事が完了しました。堤防内に現存する水門の設置年は不詳です。黒部川本流から取水するための、川倉・籠・雑木など伏せる作業は大変であり、石を運ぶ人足や川倉を作る人足等の費用も膨大でした。取水口の維持管理には莫大な労力と費用を必要としたのです。
 その後合口化が進み、昭和14年の黒部川合口用水の完成により、取水門の役割を終えました。黒部川本流から取水した各用水の中で、唯一取水との闘いの歴史を語る取水門を残しているのが「合用水取水口水門」です。
(みずはく「地域学芸員」記)


位置図
(□1/50,000 ■1/25,000 □1/10,000)
 
 
備 考
黒部市史/歴史民俗編

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