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松尾芭蕉の歌碑
(まつおばしょうのかひ) |
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地区
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入善町
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地域区分
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扇端
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テーマ
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2
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分野
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歴史
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場所
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入善町上飯野 |
所有者・管理者
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電話番号
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![]() 翌13日、那古の浦(奈呉の浦とも言い、現在の射水市にある富山湾伏木富山港付近)に向かいました。渡らなければならない黒部川は幾筋にも分かれて流れており、水量が増えるとすぐ洪水になりました。その為、黒部川は「あばれ川」とか、川筋が何本もあったので「四十八ヶ瀬」などと呼ばれていました。また、那古の浦に行くには、この黒部川の他に、たくさんの川(現在の境川、小川、黒部川、片貝川、早月川、常願寺川、神通川など)を渡らなければなりませんでした。親不知の難所にも劣らない、この難所を越え、やっとの思いで那古の浦に着いたのです。「おくのほそ道」の那古の浦の節頭に書かれている「くろべ四十八ヶ瀬とかや 数しらぬ川を渡りて 那古と言う浦に出づ」、の文章が歌碑に刻まれています。この歌碑は、黒部川右岸(入善側)で河口より4.5Kmほど上流の、旧北陸街道(下街道)沿いにあります。 その後、金沢に向かう途中で「わせの香や 分入(わけいる)右は 有磯海(ありそうみ)」と詠んでいます。 (みずはく「地域学芸員」記) |
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