松尾芭蕉の歌碑
(まつおばしょうのかひ)

地区
入善町
地域区分
扇端
テーマ
2
分野
歴史

場所
入善町上飯野
所有者・管理者
 
電話番号
 
 元禄2年(西暦1689年)7月12日、松尾芭蕉は親不知の難所を越えて市振の宿に泊まりました。「おくのほそ道」では「一夜(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月」と詠みました。
 翌13日、那古の浦(奈呉の浦とも言い、現在の射水市にある富山湾伏木富山港付近)に向かいました。渡らなければならない黒部川は幾筋にも分かれて流れており、水量が増えるとすぐ洪水になりました。その為、黒部川は「あばれ川」とか、川筋が何本もあったので「四十八ヶ瀬」などと呼ばれていました。また、那古の浦に行くには、この黒部川の他に、たくさんの川(現在の境川、小川、黒部川、片貝川、早月川、常願寺川、神通川など)を渡らなければなりませんでした。親不知の難所にも劣らない、この難所を越え、やっとの思いで那古の浦に着いたのです。「おくのほそ道」の那古の浦の節頭に書かれている「くろべ四十八ヶ瀬とかや 数しらぬ川を渡りて 那古と言う浦に出づ」、の文章が歌碑に刻まれています。この歌碑は、黒部川右岸(入善側)で河口より4.5Kmほど上流の、旧北陸街道(下街道)沿いにあります。
 その後、金沢に向かう途中で「わせの香や 分入(わけいる)右は 有磯海(ありそうみ)」と詠んでいます。
(みずはく「地域学芸員」記)


位置図
(□1/50,000 ■1/25,000 □1/10,000)
 
 
備 考
「河川の歴史読本 黒部川」国土交通省北陸地方整備局黒部川河川事務所
「奥の細道」 文献

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