|
 |
古御堂「みょうどうさま」 〜 新屋「墓ノ木の川神さま」 〜
舟見「舟見野用水ものがたり」 〜 五千僧「ウナヅキ」 〜 柳橋「柳橋の仏石」
|
|
|
 |
|
チェックポイント周辺マップ
|
 |
 |
神秘の流れをさかのぼるコースの第4チェックポイントは、宇奈月谷付近、現在では宇奈月という地名で呼ばれている「五千僧」です。
源平合戦にやぶれた平家の落武者がこの地に逃れてきたところから物語がはじまります。
|
 |
ページ内リンクになっています。ご覧になりたい情報をお選び下さい。
|
|
 |
|
むかし、平家の武者が落ちのびて、宇奈月谷手前の五千僧に住みました。寺院の造るほどになりましたが、大雪崩が襲い人が住まなくなりました。
この宇奈月谷の上流に「朝不動ヶ滝」と言う滝がありました。「朝の五ツ(八時)になると、峰から落ちる滝の水煙の中に不動明王が現れる。」と伝えられていました。
慶長八年(一六〇三)の秋、狩人の治郎右衛門に三日三晩も不動明王が現れお告げがありました。
滝つぼに来て見ると、あら不思議や、火焔の中に尊像が照り輝いています。治郎右衛門は、これは有縁の宝物と思い、家に持ち帰って安置しました。
その後、再び夢のお告げがあって、これを三日市の辻徳法寺に移したのですが、この像は、聖徳太子が二歳のときにつくられたご自分の像であることがわかりました。
この「朝不動ヶ滝」は、霊処で、心も体もウナヅクことからウナヅキ谷と言うようになった。(「辻徳法寺縁起」)
また、あるとき、この治郎右衛門が滝つぼの中に、白く光るものを見つけて、すくい上げたところ、それは聖徳太子の尊像であったそうです。
その太子のみけんから光が出ていたという話に、人々が、「ハハン、ナルホド」と、ウナヅイタことから、後にここをウナヅキ谷と言ったとも伝えられています。
附記 宇奈月谷から尊像の出たことについて
「戦国時代、上杉勢に攻められた法福寺の僧侶らがこの谷に難をのがれたのかも知れない。」(野島好二氏談)
「五千僧」の地名は、五千人の僧がいたというのではなく、外敵に対しておそれを抱かせるオドシの口実から生まれたと言われています。
今の宇奈月温泉のある台地は、元内山村桃原であります。
(出典:「桃源郷へのいざない」)
|
このページの先頭に戻る
|
 |
|
霊験あらたかな五千僧周辺のいまのすがたをご紹介します。
いまの五千僧にはどんな名勝・旧跡・施設があるのでしょう?
|
 |
■宇奈月温泉
中世末の山城跡に建てられており、観光的要素を取り入れて現代風に建築されています。その天守閣から見る扇状地や富山湾海岸線は見どころです。
|
 |
|
このページの先頭に戻る
|
 |
|
 |
Copyright.2001 LOCAL AUTHORITIES GREATER NIIKAWA |