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海沿いのまちをぶらりコース
現在位置
境「七本のうばと福ま」 〜 宮崎「銀色の鹿」 〜 椚山「ばんどり長者」 〜
入善「入善小太郎の手柄」 〜 飯野「人魚の肉を食べた娘」
第1チェックポイント:「境」
チェックポイント周辺マップ
周辺MAP
海沿いのまちをぶらりコースの第1チェックポイントは、新潟との県境にあたる「境」です。ここは数百年以上も昔から交通の要所とされ、関所が設けられた時代もありました。
そんなまちに今も伝わる不思議な物語をご紹介します。
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この地域の伝説・民話 この地域のいまのすがた
七本とうばと福ま
昔、境に関所があったころの話です。福まという働き者で力持ちの若者が、仏の教えを深く信じているばあさまと、二人でくらしていました。
ある年の春、まだ山に雪がのこっているころのことです。福まは、前の年の秋に集めておいたしばを「丸(※1まる)」にして、ふもとへ転がし落とす大仕事をしていました。とつぜん、ゴーッという音といっしょになだれがおき、福まは、あっというまに雪にのまれてしまいました。
村人たちは、さがすあてもなく、どうすることもできません。悲しみにくれながら、福まのそう式をしました。
「かわいそうなことをしたのう。」「なんでこんなことになったんじゃ。あんな働き者の福まが、ばあさまのこして死んでしもうた。」 しかし、ばあさまだけは、どうしても福まが死んだとは思えなくて、ボロ板を拾ってきては、と(※2)うばを作りました。そして、七日七晩(ばん)おにぎりをそなえて、なむだいし、へんじょう、こんごう。」と、福まの無事をいのり続けていました。
福まがいなくなって七日ほどたったある日、村人たちが山へ仕事に出かけると、なんと、青白い顔をした福まが、岩の上にすわっていました。それを見た村人たちは、おどろきました。
「お前、よう生きとったの。どうしとったがじゃ。」と、村人に聞かれ、福まは話し始めました。
「おらあ、なだれにまきこまれ、気がついたときには、もう体が動かなんだ。『このまま死ぬがやろか…。ばあさま助けてくれっせ!』とさけんどったら、急に目の前に、黒いころもの坊様があらわれて、にぎりめしをくれ、体をさすってくれっしゃったがや。そして、それから、毎日、毎日、七人の坊様が、かわるがわるやってきて、にぎりめしをくれっしゃったがや。ところが、その坊さまたちは、一人一人みんな目や耳や口などがない不自由な人ばっかりやった。でも、その坊様たちのおかげで、おらあ助かったがじゃ。」
ばあさまが、拾ってきたボロ板で作ったとうばでも、信じて念仏をとなえたからでしょうか。ボロ板のように、目や耳のないすがたに身をかえた七人の仏様が、福まを助けにこられたのかもしれません。
村人たちは、このふしぎなふしぎなありがたい出来事を語っては、手を合わせ、念仏をとなえたということです。

※1 まきはねんりょうとして大切だった。秋のうちにたばねておき、雪ののこる春に、山から谷に転がした。
※2 死んだ人のくようのために、はか石のまわりに立てる細長い板のこと。
(出典:「朝日町の民話」)
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チェックポイント周辺地域のいま
日本の交通の歴史を見つめてきた境周辺のいまのすがたをご紹介します。
いまの境にはどんな名勝・旧跡・施設があるのでしょう?
境関所跡
飛騨山系が海に迫り、海岸回廊で越後に通づる交通の要所を押さえるように、国境に設けられたのが境関所です。
近世以前の永正年間(1504〜1521)に「境川の関」と記されていることから、古くより交通取締りや軍事目的で、関所に類するものが境周辺にあったものと考えられています。
境関所跡
護国寺庭園
護国寺は弘法大師によって創建されたと言い伝えられています。
広い庭園には数百本以上もの草花が植えられており、花の名所としても有名です。
護国寺庭園
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