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境「七本のうばと福ま」 〜 宮崎「銀色の鹿」 〜 椚山「ばんどり長者」 〜
入善「入善小太郎の手柄」 〜 飯野「人魚の肉を食べた娘」
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チェックポイント周辺マップ
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海沿いのまちをぶらりコースの第2チェックポイントは、美しいヒスイ海岸をのぞむ海沿いのまち「宮崎」です。この地域の人々は、遠い昔から海という大自然とともに生きてきました。
このチェックポイントでは、「海」がキーワードの伝説をご紹介します。
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今から何百年も前のことです。一人の若者が、年老いた父母のために、冬の海で、寒いのをがまんしながら魚をとっていました。
「朝から魚が一つもつれん、こまったなあ。」と、ため息をついていると、どこからか、ザーという波の音にまじって、悲しそうな歌が聞こえてきます。それは、こんな歌でした。
「海がくもった三百六十五日木の実も食えず草の実も食えず鹿なく島はどんなに悲し九十九人の狩人が九十九島(つくもじま)をとりまいて親うつ子うつどんなに悲し」若者が、歌の聞こえるあたりを見ると、見事な角を持った鹿が泳いでいるではありませんか。若者はとっさに鹿にあみを投げ、やっとの思いで鹿を舟の上に引き上げました。
若者は岸にもどると、つかまえた鹿をわらの上にねかせて、ぬれた体をふいてやったのです。すると、どうでしょう。鹿の体が見る見るうちに銀色に光りかがやいてくるではありませんか。若者はその鹿の美しさに見とれてしまいました。
その夜、若者はふしぎなゆめをみました。ゆめの中に神様があらわれ、「若者よ、私は今日からこの村に住むことにした。わたしの社(やしろ)をつくってほしい。」と告げられたのです。
若者は、村人たちに銀色の鹿を見せ、ゆうべのふしぎなゆめの話をしました。
村人は口々に、「海を渡ってきた銀色の鹿は、きっと神様のお使いじゃ。」「ゆめのおつげのとおり、神様をむかえる社をたてよう。」と言い、みんなで力を合わせて、社をたてたのでした。
社ができ上がると、ふしぎなことがおきるようになりました。朝にも夕方にも、何百頭もの鹿のむれが、海の向こうから泳いでくるのです。それを見た村の人たちは、「向こうの島から銀の鹿神様乗せてまいられた」と歌うようになりました。
それは、九十九島でころされたり、食べ物がなくて死んでいった鹿のたましいが、この社に集まってくると信じたからです。
それからのち、村人たちは鹿を神の使いと信じ、鹿の角のかざりや皮のかざりなどを使わなくなったそうです。
※宮崎の鹿島神社は、昔は「沖の島」にありました。しかし、のちになって沖の島は波による侵食が進んだため、現在の場所にうつされたということです。
(出典:「朝日町の民話」)
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美しい海と向かい合ってきた宮崎周辺のいまのすがたをご紹介します。
いまの宮崎にはどんな名勝・旧跡・施設があるのでしょう?
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■ヒスイ海岸
ヒスイ海岸は、ヒスイの原石が拾え、海水も美しいエメラルドグリーンの海岸。海岸を散歩しながらヒスイの原石をさがすなんて、とてもロマンチック。
時間があれば、ぜひヒスイ探しにチャレンジしてみよう。近くにはヒスイ加工の店があり、自分だけのアクセサリーをつくることができます。ヒスイ海岸は、夏は海水浴や、ウィンドサーフィン、釣りなどもたのしめます。また、タラ汁、カニ等も見逃せません。
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