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境「七本のうばと福ま」 〜 宮崎「銀色の鹿」 〜 椚山「ばんどり長者」 〜
入善「入善小太郎の手柄」 〜 飯野「人魚の肉を食べた娘」
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チェックポイント周辺マップ
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海沿いのまちをぶらりコースの第4チェックポイントは、いまの入善町の中心部にあたるまち「入善」です。
源平の戦いが繰り広げられていた時代に残る、合戦中のエピソードをご紹介します。
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寿永(じゅえい)2年(1183)5月11日。有名な砺波山の合戦が始まりました。
木曽義仲は、牛の角(つの)のタイマツをつけ、平家の大軍をさんざんにうちやぶりました。
にげる平家を追って加賀の国へと軍を進めた義仲は、5月21日、成合(なるあい)で陣をととのえた平家とふたたび戦いました。
このとき、入善小太郎と高橋判官長綱(はんかんながつな)の一騎打ちがおこなわれたのです。
長門本(ながとぼん)平家物語には、つぎのように書いてあります。
「平家の方より、高橋判官長綱、五百余騎でおしよせてきた。これに対し、宮崎太郎、250騎で向かい合った。
宮崎太郎の長男に入善小太郎為直(ためなお)という者がいた。また、宮崎の弟に南保次郎という者もいた。
あるとき、宮崎が南保にむかって、『小太郎から目をはなしてくれるな。』とたのんだ。
そこで、南保も、はじめは馬をならべて進んでいったが、大勢の中へ入ったので、ついに小太郎を見うしなってしまった。
ところが小太郎は、平家の侍(さむらい)大将、高橋判官長綱と出あい、むんずと組んで、馬から落ちてしまった。長綱は37、8の大男、すぐれた力持ちであるから、小太郎は、かんたんにおさえつけられてしまった。
『お前はだれだ。名のれ。』長綱がいったので、
『越中国の住人、宮崎太郎の子、入善小太郎、17歳。』と答えた。すると、長綱は、
『ああ、かわいそうに、わしも17の子を持っている。助けてやろう。』といって力をゆるめた。
そこへ、南保が小太郎の名を呼びながらやってきたので、『おじ上へ、小太郎はここに……』とさけんだ。
南保も、やっと気がついて、急いで馬からとびおり、長綱のかぶとに指を入れて、本どりをつかみ、一気に首をかいた。
そして、その首を前にすてて、小太郎にけががないかしらべているうちに、いきなり小太郎が首を持ってにげだした。
『こら!!小太郎、気がくるうたか。その首をおいていけ!!』
南保があわてて追っかけたが、小太郎は早くも木曽義仲の前へいって、
『これは高橋の首でございます。為直がとりましてございます。』といった。
そこへ南保が走ってきて、ことのわけを申し上げたところ、木曽殿は、『おもしろい、おもしろい。きけや者ども。弓矢とる者は、これくらいの功名心をもたねばならない。この首は南保がとった首である。入善には別にほうびをあたえる。』と、おおせられた。
(出典:「入善のむかし話」)
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町役場を中心ににぎわう入善周辺のいまのすがたをご紹介します。
いまの入善にはどんな名勝・旧跡・施設があるのでしょう?
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■じょうべのま遺跡
ここは、奈良時代末期又は平安時代初期に栄えた荘園の庄所ではないかといわれており、たくさんの遺物が出土しています。
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■コスモホール
コスモホールは、空席時1.9秒という 残響時間が、座席数560のホールにふさわしく、優れた音響効果をもたらしています。
音響の質がまろやかで、あたかもヨーロッパの響きがする。このホールを体験した日本と世界の著名な音楽家が、絶賛してきました。
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■水の小径
美しい水の町・入善を象徴するような水といこいの小径です。
水のせせらぎが市民の心にやすらぎを与えてくれます。
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